2019年2月24日に執り行われた天皇陛下御在位三十年記念式典で天皇陛下が作詞をし、皇后陛下が作曲をされた『歌声の響』を三浦大知さんが歌われました。
あなたはこの歌声の響という歌をご存知ですか?
おそらく知らないと言う方が多いのでは無いでしょうか?
と言うことで今回は、『歌声の響』の歌詞やこの歌に込められて思いやその意味。
そして、なぜ歌手の三浦大知さんが歌ったのかと気になるところに迫ってみたいと思います。
【歌声の響】歌詞の意味は?
まずは、天皇陛下・皇后陛下の二人で作られた歌声の響の動画をご覧ください。
出典:YouTube
どうでしたか?
いつもと違うパワフルさを抑え、高音域でも心地よく優しい歌声で本当に歌われた『歌声の響』にマッチした感じがしました。
日本が代表するアーティストなだけありますね。
では、歌声の響の歌詞に込められた意味(想い)をお伝えします。
【歌声の響】とは?
そもそも、この歌声の響という歌は、動画での歌声を聴いてお分かりの通り、沖縄の方言で唄われている歌です。
なぜ、沖縄の方言で歌詞がつけられているのかと言うと、今から44年前の1975年に天皇・皇后両陛下が初めて沖縄県に訪れ、名護市にあるハンセン病療養所を訪問されました。
両陛下がお帰りになる際、在園者たちが感謝の気持ちが込められ合唱されました。
その時に唄われたのが『だんじょかれよし』と言う歌で、この「だんじょかれよし」と言う言葉の意味は、お祝いや旅立ちの歌に使われる言葉で、誠にめでたいと言う意味なのです。
出典:YouTube
【歌声の響】歌詞の意味や込められた想いは?
まず、天皇陛下がだんじょかれよしを聞き思いを込めた歌詞はこちらです。
ダンジュカリユシヌ ウタグイヌフィビチ
ミウクルワレガウ ミニドゥヌクル
ダンジュカリユシヌ ワタヤワチャガタン
ユウナサキユル シマチムニヌクテイ
(標準語訳)
だんじょかれよしの 歌声の響き
見送る笑顔 目に留まる
だんじょかれよしの 歌や湧きあがたん
ゆうな咲きゆる 島肝に残て
のこ歌詞に込められた思いとは、沖縄に訪れたときの情景で、今でも目を閉じれば見送ってくれた方々の笑顔が思い浮かび、だんじょかれもしの歌声が聞こえてくる。
このような綺麗な花が咲き誇る沖縄は心に残り忘れることはないと言う意味なのです。
しかも、この『歌声の響』は子守唄として歌われていたと言われています。
おごがましいですが、皇后陛下の歌声も聞いてみたいものですね。
皇后陛下の歌声ではなく残念ですが、この『歌声の響』はCDとして販売されており、購入して聞くことができます。
歌声の響を三浦大知が歌った理由は?
単刀直入に三浦大知さんが『沖縄出身』だからと言うことです。
これはタラレバなのですが、安室奈美恵さんが引退していなかったとしたら安室奈美恵さんが歌われていたのかも知れませんよね!?
おそらく多くの方が、三浦大知さんの歌声を聴いて納得いかれた事と思います。
ですが、実際三浦大知さんと決まった時には、色々と批判の声も上がっていたと言います。
おそらくですが、テンポのいい歌を主に歌われ、パフォーマンスを重視している三浦大知さんだからこそ、三浦大知さんの魅力が出せないと思われていたのかも知れませんね。
ネットの反響は?
三浦大知さんの 優しい声と優しい歌い方がこの「歌声の響」にとてもあっている。
自然と涙がでる・・・ 最高にすばらしい
男の人の高音の歌声って素敵な響き。
優しい楽器みたい。
歌聞いているうちに涙が頬を伝わった。
三浦大知さんのような凄い人は出身地が何処とか関係ないよなって今まで思ってたけど、今回純粋に同じ沖縄の人である事を嬉しく思えた。
聞くだけでは歌詞の意味を理解できなかったけれど、歌声で、それこそ"歌声の響"に感動して泣いてしまった。
言葉が見つからない。
素晴らしい。。
沖縄の青い空と心地よい風が感じられる素晴らしい歌声ですね!
なぜ天皇陛下御在位三十年記念式典で歌声の響を歌ったのか?
天皇陛下御在位三十年記念式典でなぜ、この『歌声の響き』を歌われたのか?と言う事なのですが、沖縄県は、戦後から米軍の占領下におかれてしまい、日本の施政権は停止してしまいます。
この時に沖縄県は消滅し、米軍主体の元あらたに琉球政府が作られました。
そういった点で、沖縄県は一番被害を被った県となります。
そのような暗い過去があったにせよ、冒頭でお伝えした通り天皇陛下が皇太子時代に初めて沖縄県のハンセン病療養所を訪問したのです。
そんなハンセン病療養所から帰られる際に送り出しの歌として歌ってくれた思いが深く心に残っていたの言います。
このような思いがあってこの『歌声の響』を選んだのではないかと思われます。
現在もなお、沖縄県では昨今辺野古の基地問題があるので、その想いも含まれているのかも知れませんね?
最後までご覧いただきありがとうございました。